マエストロ 小澤

マエストロ小澤を知らない松本市民は"潜り"と言い切れるほど(大げさ!?)、この松本と小澤征爾氏の交流は長く、今年で21年が過ぎました。

8月になると県内の夕刻時のテレビニュースでも日々サイトウ・キネン・フェスティバル松本(通所:SKF)の様子がお茶の間を和ませ、夏の風物詩となっています。


社会人を機にこの松本に戻ってきた私ですが、会社がこの事業に積極的に協賛していたこともあり、ホテルで開かれる関係者限定の歓迎レセプションに同期と潜入(笑)したり(※もちろん招待状ありました)、ゲネプロを観賞させていただいたり、SKF松本合唱団の一員としてマエストロの指揮で歌わせていただいたりと、SKFを通じて様々な音楽体験をさせていただいています。

昨今、マエストロの体調が心配な状況ではありますが、SKFを想う気持ちはお変わりないとお察しするだけで嬉しいものですね。

 

余談ですが、レセプションパーティーでは、気さくな外国のご婦人とお話に花が咲いていたら、あのヴァイオリニストのロバート・マン(Robert Mann)さんが加わり、ご婦人がなんと奥様のルーシー・ローワン(Lucy Rowan)さんでいらっしゃったこともありました(笑)

 

最近、『小澤征爾指揮者を語る』を読みました。

NHK-BSハイビジョンで2009年に放送された"100年インタビュー/指揮者 小澤征爾"が単行本化されたものです。

Part 1 音楽監督という立場、Part 2 サイトウ・キネン・オーケストラへの想い、Part 3 指揮者とは・・・の3部構成。

かつてマエストロがご自分で書かれた初エッセイ『ボクの音楽武者修行』を読んだことがありましたが、それに比べ、こちらの本は対談がベースなので、マエストロの本音を上手に引き出している一冊だと感じました。

 

当初、マエストロはピアニストを志していたそうですが、ラグビーで指を怪我したことにより、指揮者へと転向。

サイトウ・キネン名称の由来ともなっている恩師・斎藤秀雄から指揮法を学んだ後、1959年マエストロ23歳の時に愛車のスクーターと共に貨物船で渡仏。

ブザンソン国際指揮者コンクールにて優勝するも、すぐに仕事が舞い込んでくることなく苦労していた頃、人生で一度だけ弱音を吐かれたことがあるそうです。

 

そんな時、作家・井上靖さんの言葉に感化され、自分自身を奮い立たせます。

「どこの国に行っても通訳なしで、じかにお客が聴いてくれるじゃないか。そんな素晴らしい芸術はないんだと。だから、そんな弱気じゃなくて、せっかくここでコンクールに受かったのだから、「絶対に、ここでやれ!」って強く言ってくれてね。(『小澤征爾指揮者を語る』より抜粋)」

 

その後、ヘルベルト・フォン・カラヤンシャルル・ミュンシュレナード・バーンスタインに師事し、その後、シカゴ交響楽団ラビニア・フェスティバルトロント交響楽団タングルウッド(音楽祭・芸術監督)、サンフランシスコ交響楽団ボストン交響楽団ウィーン国立歌劇場と名高いオーケストラの音楽監督を務められました。

 

マエストロはこの華々しい経歴を次のように振り返っています。

「やっぱり勤勉だったと思う、たぶん人より僕は。才能とかいうよりも、勤勉だから。うんと努力するというのは東洋人の美点。特に日本人の根性があるんじゃないですか、・・・・そこには。(『小澤征爾指揮者を語る』より抜粋)」

 

"西洋音楽を知りもしない東洋人に何が出来るのか"と揶揄されながらも、音楽が大好きである気持ち、そして、もっと極めたいという志を貫き、斎藤秀雄氏から学んだノウハウを武器に、日本の音楽教育が十分世界に通用すると知らしめたマエストロ。

本当にすごい人であると思います。

"生涯現役"であられること、心から尊敬します!

そして、そういう職業に出会えることが羨ましくもあります。 

クリックで救える命がある。