KIMIKO NAKAZAWA、塩尻へ来る!

先日、宮本笑里さんについて書かせていただきましたが、その続編としまして、今回は中澤きみ子さんについて書かせていただきます。

中澤きみ子さんは、「ハンマ1717」という愛称のストラディバリウスを所有されており、演奏会では、そのストラドを手に、華麗なるタンゴをご披露下さいました。

半世紀、ヴァイオリンを弾いていらっしゃるとのことですが、年齢など微塵も感じさせない、確かなテクニックをお持ちの演奏家でいらっしゃいます。

 

私が初めてきみ子さんの音色を聴いたのは、今から10年程前。

会社主催のコンサートで、お聴きしたのが出会いでありました。

その時、エルガー"愛の挨拶"を弾いて下さり、とても温かい音色が心地良い空間を造り出し、会場の皆さんに癒しを届けて下さいました。

海外のコンクールで審査も務める実力派のきみ子さん。

様々な演奏家の方々や演奏家の卵たちとの出会いを通して、彼女の"凛とした"音色と世界観を身につけられたのだと、音色からお察しします。

 

さて、きみ子さんのご主人はご存知でしょうか?

中澤宗幸(なかざわむねゆき)さんとおっしゃり、通称"ヴァイオリンドクター"。

2013311日の日本経済新聞の紙面に宗幸さんの記事を見つけました。

2年前の東日本大震災発生時、自宅で昼食をとっていた中澤ご夫妻。

階下の工房には、修復中の五嶋龍さんのストラドがあり、宗幸さんは、しがみつくきみ子さんを振りほどき、工房へと急ぎます。

修復中のストラドが無事であったことにほっとされ、そして、宗幸さんは意を新たにされます。

「何があってもこの楽器を後世に残さねば」

aomorigonta様が撮影された一本松
aomorigonta様が撮影された一本松

震災数ヵ月後、ご夫妻でテレビ番組を見ていると、がれき処理が難航していると伝えられていました。

きみ子さんが涙を流されながら、

「あれは"がれき"なんかじゃないよね。家族の思い出が詰まった山だと思う。

ねぇ、あの木でバイオリンが作れない?」 と。

 

その声を聞いて、宗幸さんはヴァイオリン製作の修行時代にヨーロッパで出会ったギリシャ語の言葉を思い出します。

『私は森に立っていた時は木陰で人を憩わせ、バイオリンになってからは歌って人を憩わせている』

 

そして、宗幸さんは、流木を拾い集め、3挺の「震災ヴァイオリン」を製作されました。

現在、3挺の震災ヴァイオリン達は、10年をかけて千人にリレーで演奏してもらうというヴァイオリン・プロジェクト「千の音色でつなぐ絆」で奏でらえています。

 

思い出が詰まった流木から作られた震災ヴァイオリン。

宗幸さんが語りかけながら製作したヴァイオリンには、震災による犠牲者への鎮魂、そして、今生かされている私達の希望の象徴の一つとなるのではないかと考えます。

中澤夫妻の生み出したムーヴメントに、今後、私自身が何をしていかなければならないかのヒントを見つけることが出来ました。

松本に住む子供達の思いが綴られた希望の木
松本に住む子供達の思いが綴られた希望の木

震災後の自分の行動を思い起こすと、ママ友をはじめ、友人・知人・同僚・家族から多大なご協力をいただき、車の荷台いっぱいに支援物資を集め、東北へ向かう友人達に託しました。

 

幼い息子を半ば道連れに、1か月あまり、2度の物資収集活動を行えたのは、それを支えて下さった皆さんの思いを私自身が感じ、原動力にしていたからだと思います。

加えて、児童センターでお世話になった先生方のご協力の元、松本の子供達の思いも被災地にお届けしました。(右写真)

 

震災後、子供たちの未来が脅かされています。

自分が出来ることはほんのわずかではありますが、 私の敬愛するマザー・テレサは言われました。

  『私たちのすることは大海の一滴の水にすぎないかもしれません。

  でも その一滴の水が集まって大海となるのです』

この言葉を再び胸に刻み、そのための努力を惜しまず、そして、希望を失わない、一人の責任ある大人でありたいと強く願います。

クリックで救える命がある。