2016年
2月
17日
水
週末は、美食家の友人と一緒に、松本 生ぱすた処 千慶でパスタをいただき、ナチュラルベーグル歌で翌朝のベーグルを調達。
そして、同じ通り沿いにある自家珈琲焙煎店FIFTY-ONE COFFEEでお豆を購入がてら、試飲。
心もお腹も満たされた私達は、メインイベントである講演会に出席するため、いざ深志神社の梅風閣へ♪
講演会は13時半スタートでしたが、すでに前方中央のお席は多くのご婦人方によって確保されていましたので、ステージ左側のお席に落ち着きました。
実は、こちらのお席、当たりでした☆うふふ
講演会に参加した経緯を少しご説明。
ピースの又吉直樹氏が芥川賞を受賞したことは存じていましたが、W受賞をされていたもう一人に関しては、お恥ずかしいのですが知識ゼロでした。
そんな中、昨年暮れに観た情熱大陸で、初めてもう一人が羽田圭介氏であることを知ったのです。
番組でお見かけした彼のシンプルな生活スタイルや裏表のない言葉のチョイスが面白いなぁと思っていた折、北野大先生とお二人でこの松本で早春対談をされるとの企画を発見!
もちろん即申込ませていただきました。
会場に入られた羽田氏も驚かれていましたが、定員は300名。
加えて、3階の会場に収まりきらなかった方々は、中継という形で2階会場で聴講されていたそうです。
同僚から聞いた話では、700名の応募があったそうですから、羽田人気はすごいものがありますね。
講演会前半45分間は、羽田氏お一人でのトーク。
生い立ちに始まり、10代前半で読書漬けの日々を過ごされ、14歳で作家を目指し、17歳で文藝賞を受賞した輝かしい経歴の持ち主。
ただ、本が売れないご経験もおありなので、芥川賞作家となられても、状況や周囲に振り回されず、ご自分の立ち位置を弁えていらっしゃるお方。
メディアへの登場は、あくまでも本を読んでもらえるならの精神、そして、安定した生活の確保ゆえですから、潔さが伺えます。
彼の受賞作品のスクラップ・アンド・ビルドを拝読させていただき、筋トレ好きな主人公は等身大の彼の姿が描かれているんだろうと思っていたのですが、講演会を拝聴したことで、彼自身が主人公にアプローチしていることがわかりました。
作家も俳優と同じようなプロセスを踏んでいるのかもしれませんね。
羽田氏曰く、作家は日本一地味な職業とのことです。
後半は、北野大先生も壇上へ♪
北野先生が、羽田氏にインタビューする形式だったのですが、先生ご自身、インタビュアーの経験がほとんどなく、少々ご苦労されているご様子。
ただ、終始ニコニコ笑顔でいらっしゃるお人柄、拝聴している私には心地良く感じられました。
実は、対談中、羽田氏が私達の座席のあたりに視線を落とされていたので、当たり席と思ったのであります。
ただ、熱気ある会場の暑さに耐えかねていた羽田氏からしたら、半袖で快適に過ごす私を羨んでいたのかもしれませんし、視力が悪いから私なんてまったく見えなかったかもしれませんし。。。勝手な妄想。。。
さて、対談後の質問タイムでは、あるご婦人から松本を舞台に作品を執筆されないのかと。
その応答として、社員寮について書いてみたいと羽田氏。
実は、お話に出てきた社員寮、私はよく存じているので、ネタを提供出来そうな感はありますし、外国人インターンも絡んでくると、絶対に面白い作品になるのではないかと予感はあります。
我が友人のカナダ人インターン said "刑務所的な寮".でしたから(笑)
是非とも、羽田氏が社員寮ネタで作品を執筆下さることを期待しています!
講演会終了後には、北野先生、羽田氏ともフランクに握手を交わさせていただいたり、会話をさせていただくことが出来たのは嬉しかったです。
羽田氏とは、社員寮についてお話をさせていただいたので、少しは彼の記憶に残ったかしら?
今回、対談されたお二人が、現在の仕事が"天職"であるとおっしゃっていたのが印象的でした。
近い将来、私自身も"天職"について堂々と語れる側にいたい!、そんな決意をした土曜日の昼下がりでした。
2013年
4月
26日
金
"They will be the people who give, who like to bring delight to other people, and therefore gain pleasure and satisfaction for themselves."
- Walt Disney
「与えることは最高の喜びなのだ。他人に喜びを運ぶ人は、それによって、自分自身の喜びと満足を得る。」
-ウォルト・ディズニー
久しぶりにブックレビュー。
鎌田洋さん著「ディズニーサービスの神様が教えてくれたこと」 。
こちらの書籍、4つのストーリーで構成されており、涙腺緩んでしまう一冊ですので、公共エリアでの読書にはオススメ致しません。
実際、職場の昼休み時間に読んでいた私、うるうる状態になりました。
さて、私の中でのベストストーリーは第4話「希望のかけ橋」。
12歳で脳腫瘍が発見された少年'雅人くん'が、「ディズニーランドに行かれたら、手術を受けてもいい」と両親に話すことから始まります。
失意の境涯にあった両親は、わずかな可能性に懸けるべく、何とか雅人くんがランドを訪れられないかと奔走します。
当初、ディズニーランドサイドは、リスクを冒してまで実行に移す必然性はないのではないかと考えます。
しかし、実際に雅人くんの母親と面談したスタッフは、
「最高のサービスとは、たくさんの人を幸せにすることだと思っていたが、多くの人を幸せにするためには、まず目の前の人を笑顔にしなければならない。」
との考えに辿り着きます。
これは雅人くんとご家族との交流を通じて、ディズニーのスタッフが学んだ"成長の種"の一つの物語です。
ディズニーには、大小関係なく"成長の種"を大切にし、「枯らすことなく、育て続ける」というスピリット(精神)があるそうです。
人と関わることとは、成長の種を与えられること、そして、時には与えること、そのような精神でゲストと関わっている、関わろうとしているキャスト達はすばらしいですね。
ディズニーランドに行きたくなってきました!
この本を読み終えて、自分の周りにいる家族、友人、同僚、ひとりひとりの存在と価値を改めて見直し、そして、慈しむ時間が生まれました。
今年の誕生日に信頼する友人が贈ってくれた言葉。
「Michelleのチャーミングな笑顔にずっと前から心和まされます。
きっとご家族の太陽なのだと思います。
主の光をもって輝き続けて下さい。」
をふと思い出しました。
身近な家族を幸せにすること、そこからすべては始まるのだとこの本が裏付けてくれました。
巻末の「おわりに」には、
「私たちは、本当は誰もが誰かのために、魔法のような"特別な存在" になれる。」
とあります。
ひとまず、能面のような表情を止め、笑顔で周りの人達をハッピーな気分に誘えたら、Magicalですね!
Let's keep smiling and having your magical world!!
2013年
4月
06日
土
『春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲の細くたなびきたる。』
清少納言が枕草子(第一段「春はあけぼの・・・」)で歌っているのを思い出す方も多いのではないでしょうか?
中学時代に学んだ古典ではありますが、"美しきものは永遠"と感じさせてくれる一節です。
歳を重ねた今だからこそ、文学の醍醐味を味わえるのも一入。
ご存知のとおり、枕草子は随筆集であり、清少納言は随筆家でした。
短章でありながらも、自然の美しさを明白に表現したEssayistであったのだと思います。
私のお気に入りは、第151段の「うつくしきもの・・・」。
『頭はあまそぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、
うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。』
"あまそぎ"とは、尼削ぎと書き、おかっぱ頭(セミロング)のことを表しているのでが、幼児のおかっぱ頭はツヤツヤで、天使の輪が出来るのも心から"うつくきもの"と思えます(笑)
幼児の白く透き通った肌にしても、髪の毛にしても、何らケアをしなくても"うつくしきもの"ですから、羨ましい限り。
前置きがだいぶ長くなりましたが、先日、アンサンブルフローラのお仲間みかんさんと脳科学者:茂木健一郎さんの講演会に出かけました。
講演会会場の駐車場に入って、思わず周りの年齢層に怯みましたが、若者もそこそこいらっしゃいました(笑)
「脳を使う生活術」と題しての講演。
茂木さんは、ご本人もおっしゃっていましたが、とにかく落ち着きない方でした(笑)
ステージ上を行ったり来たり。
両手も定位置になく、時折り話題がホームラン級の飛びっぷりでありましたが、きちんと話が戻ってくるところはさすがスピーチのプロ。
彼の落ち着きのないところは、私にも共通する点かしら!?
『最大の欠点の近くに、最大の長所がある』
という言葉には勇気をもらいました。
まず自己の欠点を認め、そして、それを悲観せずに、どうやったら良い方向に転換させられるのか考える。
その結果、欠点は長所へと変わり、大きな力になるのだと。
さて、我が欠点の数々とじっくり向き合おうではありませんか!
まずは断捨離!?
2012年
12月
30日
日
皆さんは究極に忙しい時、どんな時間を削りますか?
我が家ではテレビをほとんど見ないため、私は読書の時間を削ります。
先日、図書館に久しぶりに行き、何の気なしに手にしたのが「ベートーヴェンの真実 The Mysteries of Beethoven's Hair」。
こちらは2000年にアメリカでベストセラーとなったRussell Martin著の「ベートーヴェンの遺髪 Beethoven's Hair」を若い世代向けに書かれたもので、挿絵も多く、あっという間に読み終えてしまいました。
あの偉大なる作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関するノンフィクション。
ルートヴィヒの死後、約170年を経て、彼の愛好家であるアメリカ人に渡った遺髪。
現代科学によって、彼が重度の鉛中毒であったことが判明。
それにより難聴になったのではないかとも指摘されていました。
当時は鉛は有毒と認識されておらず、普段使用する食器であったり、ワインであったり、薬にでさえ含まれていたようです。怖い。
物語はルートヴィヒの遺髪の旅も追っています。
遺髪の房を切り取ったのはフェルディナント・ヒラー少年。
彼はルートヴィヒに人生を芸術に捧げ尽すように励まされ、作曲家となり、音楽となりました。
同じ時代を生きた友であるロベルト・シューマンに
『われわれがどうしても抗えないような、圧倒的な力に欠けている(「ベートヴェンの真実より抜粋)』
と言われています。
本人も根本的に何かが欠けていることには気づいていたようですが、あまりにも素晴らしすぎる作曲家ルートヴィヒに出会ってしまったがゆえに、苦労されたのかもしれませんね。
その後、遺髪はフェルディナントの息子に譲られます。
そして、最終的に見つかった場所は、なんとデンマーク!
これは是非とも本を読んで謎を確かめていただきたい(笑)
最後にルートヴィヒのお言葉。
『Music is a higher revelation than all wisdom and philosophy.
音楽とはあらゆる智恵や哲学よりも高度な啓示である
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン』
2012年
11月
15日
木
ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さん著書の「ヴァイオリニストの音楽案内 クラシック名曲50選」を読み終えました。
毒舌キャラでバラエティにも出演されている高島さんですが(最近出ていますか?我が家は録画したテレビ番組や映画を見るだけで精一杯でして。。。知らない。。。)、クラシックを難しく捉えず、かなり噛み砕いて(砕きすぎ感も否めない)論評しています。
タイトルの"名曲50選"ですが、1曲あたり3ページ程度なので、さらさらっと読めてしまうので、クラシック初心者にもお勧めです。
高嶋さんの毒舌っぷりは、書籍であっても裏切りません(笑)
今回、高嶋さんがアメリカでプロのオーケストラ(ニュー・ワールド・シンフォニー)に所属されていた頃のエピソードなども散りばめられており、舞台本番の裏側を垣間見ることが出来ました。
華やかな表舞台とは異なり、裏舞台では緊張のあまり体調を崩す人、思わず失神してしまう人、精神安定剤で何とか正気を保つ人など、プロであっても"緊張とは無縁"なんて人はいないと知ることが出来て、安心しました(笑)
高嶋さんの師である徳永二男さん(元NHK交響楽団ソロコンサートマスターも務められたヴァイオリニスト)に、高嶋さんは次のように教えを仰ぎます。
「どうしたら、緊張なく弾けるのでしょうか?」
「そんなの僕が聞きたいよ。
みんな緊張するんだよ。
人前で緊張しないような無神経な奴は、逆に音楽という繊細なものには向いていないね」
な、る、ほ、ど!
"緊張する=無神経でない証拠"にフォーカスする私であります。
3歳からバレエで年に2回は舞台に立っていた私ですが、大人になってからは俄然緊張してしまい、ヴァイオリンの演奏なんて、ありえないぐらい弓の吸いつきが悪く、6拍伸ばすなんて楽譜にあれば、ガタガタになってしまい、聴いている方が気の毒に思うぐらいボロボロになります。
練習の20%ぐらいしか実力を発揮出来ないのが悩みの種でありました。
しかし、徳永先生に救われました!
「100%の演奏をしようと思ったって、たぶん出せる力はよくて40%ぐらいなんだよ。
だから200%練習をしておけば80%は出るでしょ。」
Wow!名文句!!
"あと5倍練習すれば良いんだわ~♪"と楽観的な私であります(笑)
"継続は力なり"を信じ、そして、楽しくヴァイオリンを続けていきたいですね。
余談ですが、この諺を思い浮かべる度に、20歳の頃、アメリカ人のお友達の5歳のお嬢さんに指パッチンを伝授してもらった際、
"Michelle, Practice makes Perfect!"
と言われたのを思い出します(笑)
さて、12月の本番に向けて練習、頑張ろう♪
2012年
11月
09日
金
元CAの美月あきこさんの書かれた「ファーストクラスで学んだひとつ上のおもてなし」を最近読みました。
副題で「3%のビジネスエリートを満足させる日本人の『技術』」と謳っている点にも心惹かれ。
本を読み終えた時、「おもてなし」を辞書で引いてみると、「もてなす:心をこめて客に応対する」意味で用いられていますが、英語では、
待遇の意味で、"treatment"、"reception"、"service"、
歓待の意味で"welcome"、"hospitality"、"entertainment"
と区別されています。
おおまかなニュアンスで捉えるならば(半ば無理矢理。。。)、「日本語1単語 VS 英語6単語」となるのですね。
何気なく使われている「おもてなし」、実は言葉自体に深みがあり、英語にすると6パターンの意味を持ちえた"Super Cool"な言葉であったのだと気付きました。
この著書の中で印象深かったのは、
「おもてなしはお客様のために託されることであると同時に、自分をも高める行為であり、単なる自己犠牲の精神に成り立っているものではなく、もてなす側も心が豊かになれる行為である。(「ファーストクラスで学んだひとつ上のおもてなし」より抜粋)」
と記されている点。
当たり前のことですが、与える側と与えられる側の両者が"Win-Win"の状態となってはじめて、おもてなしは成立するのですね。
"最強のおもてなし"についても触れられています。
「その人から自然ににじみでる人間性であり、お客様をホッとさせ、穏やかにさせる温かい人柄。(「ファーストクラスで学んだひとつ上のおもてなし」より抜粋)」
このような経験、なかなか思い出すことが出来ません。。。
私の中でのNo.1は、入院の際にお世話になった看護師さん。
無愛想に淡々と医療行為をこなすドクターに対して、私の気持ちに寄り添って下さった女性看護師さんの言葉や態度は今でも鮮明に覚えています。
本来、体調を崩したり、不安を抱きながら病院を訪れる患者さんが多いわけですから、お医者さんにこそ「おもてなし」の心が必要なのかもしれませんが、医者不足の昨今、そんな余裕がないのが現実。。。
先ほどの話に戻りますが、「言葉」、「表情・態度」、そして、「気持ち」、これらが一致することによって「おもてなし」は最大限の効力を発揮するようです。
日常生活において、どんな環境であっても、誰と接するにしても、上記の3要素は大事なのではないかと思います。
そこに笑顔を加えて、私流の「おもてなし」道を極めていきたいです。
今年の我がテーマは、「キャンドルの灯火」でスタートしました。
「もし誰かが暗闇の中で苦しんでいたら、キャンドルの光のように私は誰かの心にそっと寄り添って優しく照らしてあげたい。」との願いも込めて。
新年の抱負を振り返るとまだまだ未達ですが、人の心に寄り添い、共感し、そして、惜しみなく「おもてなし」の心を発揮出来るように自身を磨いて参ります!
最後に、一つ面白かった「トイレットペーパーの三角折り」のお話をご紹介。
余談ですが、私が通っていた中学では「三角折り」を実施することがルール化されていました。
ただ、これには賛否両論があるらしく、不衛生な手で折られることに課題があるという指摘もあるようです。
英語では"Fire-Fold"と呼ばれ、消防署のトイレで招集がかかっても迅速に対応できるようにと考案されたとのことです。(本当!?)
こんなサイトもありましたよ!
三角折りに飽きた方、必見です(笑)
2012年
10月
30日
火
マエストロ小澤を知らない松本市民は"潜り"と言い切れるほど(大げさ!?)、この松本と小澤征爾氏の交流は長く、今年で21年が過ぎました。
8月になると県内の夕刻時のテレビニュースでも日々サイトウ・キネン・フェスティバル松本(通所:SKF)の様子がお茶の間を和ませ、夏の風物詩となっています。
社会人を機にこの松本に戻ってきた私ですが、会社がこの事業に積極的に協賛していたこともあり、ホテルで開かれる関係者限定の歓迎レセプションに同期と潜入(笑)したり(※もちろん招待状ありました)、ゲネプロを観賞させていただいたり、SKF松本合唱団の一員としてマエストロの指揮で歌わせていただいたりと、SKFを通じて様々な音楽体験をさせていただいています。
昨今、マエストロの体調が心配な状況ではありますが、SKFを想う気持ちはお変わりないとお察しするだけで嬉しいものですね。
余談ですが、レセプションパーティーでは、気さくな外国のご婦人とお話に花が咲いていたら、あのヴァイオリニストのロバート・マン(Robert Mann)さんが加わり、ご婦人がなんと奥様のルーシー・ローワン(Lucy Rowan)さんでいらっしゃったこともありました(笑)
最近、『小澤征爾指揮者を語る』を読みました。
NHK-BSハイビジョンで2009年に放送された"100年インタビュー/指揮者 小澤征爾"が単行本化されたものです。
Part 1 音楽監督という立場、Part 2 サイトウ・キネン・オーケストラへの想い、Part 3 指揮者とは・・・の3部構成。
かつてマエストロがご自分で書かれた初エッセイ『ボクの音楽武者修行』を読んだことがありましたが、それに比べ、こちらの本は対談がベースなので、マエストロの本音を上手に引き出している一冊だと感じました。
当初、マエストロはピアニストを志していたそうですが、ラグビーで指を怪我したことにより、指揮者へと転向。
サイトウ・キネン名称の由来ともなっている恩師・斎藤秀雄から指揮法を学んだ後、1959年マエストロ23歳の時に愛車のスクーターと共に貨物船で渡仏。
ブザンソン国際指揮者コンクールにて優勝するも、すぐに仕事が舞い込んでくることなく苦労していた頃、人生で一度だけ弱音を吐かれたことがあるそうです。
そんな時、作家・井上靖さんの言葉に感化され、自分自身を奮い立たせます。
「どこの国に行っても通訳なしで、じかにお客が聴いてくれるじゃないか。そんな素晴らしい芸術はないんだと。だから、そんな弱気じゃなくて、せっかくここでコンクールに受かったのだから、「絶対に、ここでやれ!」って強く言ってくれてね。(『小澤征爾指揮者を語る』より抜粋)」
その後、ヘルベルト・フォン・カラヤン、シャルル・ミュンシュ、レナード・バーンスタインに師事し、その後、シカゴ交響楽団、ラビニア・フェスティバル、トロント交響楽団、タングルウッド(音楽祭・芸術監督)、サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団、ウィーン国立歌劇場と名高いオーケストラの音楽監督を務められました。
マエストロはこの華々しい経歴を次のように振り返っています。
「やっぱり勤勉だったと思う、たぶん人より僕は。才能とかいうよりも、勤勉だから。うんと努力するというのは東洋人の美点。特に日本人の根性があるんじゃないですか、・・・・そこには。(『小澤征爾指揮者を語る』より抜粋)」
"西洋音楽を知りもしない東洋人に何が出来るのか"と揶揄されながらも、音楽が大好きである気持ち、そして、もっと極めたいという志を貫き、斎藤秀雄氏から学んだノウハウを武器に、日本の音楽教育が十分世界に通用すると知らしめたマエストロ。
本当にすごい人であると思います。
"生涯現役"であられること、心から尊敬します!
そして、そういう職業に出会えることが羨ましくもあります。
2012年
10月
14日
日
ヴァイオリンを習い始め、鈴木メソードの教本をやっているのに『鈴木鎮一』について無知である自分を反省し、今さらですが鈴木鎮一さんの著書を読みました。
1966年に定価370円で出版された『愛に生きる 才能は生まれつきではない』です。(現在の価格は798円です)
鈴木さんのヴァイオリンへの目覚めは17歳の時に聴いたミッシャ・エルマン(Mischa Elman)の演奏する『アヴェ・マリア』。
VIVA、ネット世界!
なんと鈴木さんの聴かれたであろう音源がありました!(上記のアヴェ・マリアをぽちるとお聴きいただけます。)
この著書を読む中に『狼にそだてられた子』の話が出てきます。
アメリカの心理学者であり小児科医で子供の発達研究を専門とされていたアーノルド・ゲゼル(Arnold Lucius Gesell)が書いた著書です。
インドで狼に育てられた二人の子供が発見され、人間社会で生活をするのですが、最後まで狼のように振る舞っていたというものです。
100年以上も前の話であり、場所はインドですから、真実に関しては賛否両論があったようですが、実はこの本、信州の祖父母宅の書斎にあり、私は小学5、6年生ぐらいの時に読んだのですが、モノクロ写真で少女が四つん這いで歩く姿が掲載されており、ショックでした。
あの時の衝撃が鈴木さんの著書で蘇りましたが、狼少女の事例を踏まえて、鈴木さんが伝えたかったことは「能力は生まれつきではない」ということ、そして、「環境にないものは育たない(環境に適応して能力は作られる)」ということです。
そして、鈴木さんは「子どもに美しい心を、高い感覚を、りっぱな能力を育てるためにヴァイオリンのおけいこをさせましょう。ヴァイオリンで人間を育てるのです。(鈴木鎮一『愛に生きる』より抜粋)」を方針に鈴木メソードを立ち上げられたのです。
鈴木さんがヴァイオリンを弾き始めたのは少々遅い17歳でしたが、23歳で渡独されたからこそ、粘り強く音楽を学ばれ、そして、指導者としての感性を磨かれていったのだと思います。
相対性理論のアインシュタインとも交流があり、アインシュタインの十八番はバッハの『シャコンヌ』で(※パールマンのシャコンヌ、凄すぎます。。。)、ヴァイオリンの名手であったとも記されています。
アインシュタインが音楽を奏でていることは知らなかったので、ちょっとだけ(あくまでちょっと)親近感を覚えました(笑)
ドイツ留学の中で鈴木さんが「両手を失った」という演奏がありました。
クリングラー・カルテットの演奏したモーツァルトの『クラリネット五重奏曲(イ長調、K581)』。
この時のことをこのように記されています。「なんともいえない崇高な、大きな喜びと感動がわたしの魂を奪っていた。モーツァルトの高い魂の世界を与えてもらった。(鈴木鎮一『愛に生きる』より抜粋)」
この文章を読んで、魂を奪う演奏に私も出会ってみたいと思いました。
そのためには音楽会に足を運ばなくてはなりませんが、音楽会のお値段で感動が得られるものではないと思います。
演奏家がどれだけ作曲家の意図を汲み取り、自分の演奏に反映させられるかが、"人の魂を奪う演奏"に繋がるのではないかと考えます。
ですから、その感動はどこにあるのかわからないのですよね。
これからの演奏会が純粋に楽しみになりました。
さてお次は、鈴木さん愛著『トルストイの日記』を読んでみようと思います♪
追伸:『愛に生きる』に友人の母上のお名前が出てきて、鈴木さんにも親近感を覚えました(笑)
2012年
9月
25日
火
『マイケル・サンデルが誘う「日本の白熱教室」へようこそ』を最近読破しました。
"対話型講義"を取り入れている日本の大学の講義10コマが生き生きと書かれています。
まるで自分も教室の1生徒になった気分で一気に読み進めました。
その中にあった講義の1コマをご紹介したいと思います。
慶応義塾大学の「宗教社会学」の樫尾直樹准教授のクラスで行われた「宮崎アニメは危険か?」
このタイトルだけを見ても、「えっ?」と惹きつけられませんか?
読み進めるとアニミズム(animisum)という思想が出てきます。
簡単にいうと「どんなものにも霊が宿っている」という説なのですが、宮崎アニメは子を持つ親の1人として、『絶対危険ではない』とは言い切れないと、私は判断しました。
大人気「となりのトトロ」に"まっくろくろすけ"が出てきますが、"子供にしか見えない"と謳っています。
判断能力がまだ備わっていない幼い子供たちには、アニメと現実の切り分けは難しいでしょうし、"子供には見える"とインプットされてしまう危険性がないとは絶対に言えないと思ったからです。
講義の中で樫尾准教授は、「宮崎アニメは文化的に無防備な子供に霊的存在の実在性を刷り込む学習効果をもたらします。(『マイケル・サンデルが誘う「日本の白熱教室」へようこそ』より抜粋)」と力強く、そして、印象深く語っています。
少し話がズレますが、息子の通う保育園のお散歩コースに神社があります。
ある日、息子(当時3歳)が「神社に行って、神様にお祈りをしたんだよ」と私に話してくれました。
担当いただいている先生にご確認したところ、「境内には神様がいて、そこでは遊んではいけないよ。」とルールを教えて下さったとのこと。
もちろん先生は悪いことをしたわけではありませんし、おそらく一般的な日本人の考え方であって、当たり前な行動なのだと思います。
ただ、樫尾准教授の言葉を借りれば"実在性を刷り込む”行為というのは、実は身近には多く存在しているのではないかと、"息子、神社に行く事件"で考えるようになりました。
もっと多面的に物事を見ることの大切さを改めて感じさせてくれた本でした。